ネガティブの穴
100ページ以上加筆されたらしいのでオードリー若林のエッセイの文庫本買いました。
その帯には
そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってるんだろうけど、20年間調査した結果、それただの穴だよ。
って書いてありました。ソフトカバーでも書いてあったけど。
ソフトカバー版で出版された後に朝井リョウと加藤千恵のラジオでもこの話題をしてて、しかも、その後に、そのネガティブな穴をずっと調査してる間にポジティブな人は色々な経験をして、だいぶ先を行っちゃってるっていう話になって、マチガイネーと思うのでした。
僕は若林と春日で言ったら若林タイプで、考えて考えて…みたいな性格です。
でも、そんなことしているあいだにポジティブな人というかあまり深く考えないタイプの人は行動してて、豊かな人生経験を手に入れちゃってるんですよね。
仕事で成果出す人は走りながら考えるってなんかで読んだことあるし。
だから若林は春日を下にみてると同時に、うらやましいなって憧れるって言ってたし、その気持ちすげーわかります。
あと、若林と共感するところと言えば童貞マインドですね。
これは、西加奈子に若林が言われたことです。
ネガティブの穴をずっと調査していただけに社会経験に乏しく、飲み会では目上の人にお酌するとか会議のときはお土産を持っていくとかそういう常識に初めて触れ驚いていたそうです。
普通の人だったら特に考えずにこういうものなんだと受け入れるものですが、初めてみる社会の局部の見た目、グロさ、感触、気持ちよさに色々な思いが交錯しているっていうことですね。
僕も社会経験ないので、なんかわかる気がします。
要するに青いってことなんでしょうね。
でもそういう気持ちがあるからこそ、若林は書くネタがいっぱいあったと思うんですよね。
今はだんだんと大人になってしまって書くネタがなくなっているとのこと。
なんか前のこんなこと違う記事で書いたような気がするな。まぁいいか。
社会に参加するには何か必要な気がするんです。
結果とか仕事とかなんか色々。
でも、僕はなにも結果残せてないしなーって思ったりします。
だから僕は社会に参加出来てる感覚があんまりなくて。
でも、若林はこんなこと言ってます(所々改変あり)。
社会参加に必要なものは結果だと思っていた。
M-1GP2008以降、社会参加することができた。
だけど、結果はすぐに変わってしまう。テレビの世界では特に。
その結果に一喜一憂しながら人生を送るのは楽しくない。
プロなら結果を出す
プロなら結果が全て
という考え方が蔓延しているが、自分の胸を探ると、掴めるのは過程だった。
あれだけやって、めんどくさかったし、大変だったけど、楽しかったな。
完璧じゃないけど、自分なりにやったな。
そういう気持ちは値が下がることなく残っている。
だから、常に自己ベストを更新すればいいのだ。そう考えると自信が出てきた。
その自信は結果で得た自信よりも信用できるものだった。
そしてその自信は不思議な事に自分と社会とを隔てていた黒い海の水を引かせ往来を可能にした。
唯一の参加資格と信じていた結果というものを必要とせずに自分と社会を渡り歩くことが出来る。
自分が社会を拒絶していたというオチだった。
社会なんて自己ベストを更新していくだけでいいという自信さえあれば自由に参加していい場所だったんだ。
なんだ。そうなんだ。
自分に納得できるように頑張ればいいんだ。 いいこと知った。
っていうことで頑張って自己ベスト出せるようにしましょう。
それが大変なんだけどね。